ハンセン病を正しく理解しましょう

公開日 2023年02月09日

○ 県発行書物に係るハンセン病に関する記述について

○ (お知らせ)ハンセン病元患者のご家族に対する補償金制度について


 

ハンセン病を正しく理解しましょう


ハンセン病は、「らい菌」という感染力の極めて弱い細菌による感染症です。
適切な治療が行われなかった時代には、病気が進むと顔や手足が変形したりすることもあり、患者さんたちは偏見や差別の対象でした。
さらに、国が法律によって患者を強制的に隔離する政策をとったことで、人々の間に「恐ろしい病気」として定着してしまい、
一層ひどい差別を生みました。
官民一体となった患者の強制隔離や、見せしめのような住居の消毒などにより、患者家族への差別意識も生まれました。
家族は近所づきあいから疎外され、通学や結婚、就職を拒まれたり、引っ越しを余儀なくされたり、過酷な差別から逃れるために、やむなく自分の親族と関係を絶った人もいます。
ハンセン病に対する国の誤った政策は、多くのハンセン病患者とハンセン病回復者とその家族を苦しめ続けてきました。
これは今現在もなお、完全には解決していない問題となっています。

   ○ ハンセン病は、遺伝病ではありません。

 ○ ハンセン病は、感染力が極めて弱い細菌による感染症です。

 ○ 現在では、有効な薬剤を使うことで治る病気です。

   ○ 早期に治療すれば、身体に障害が残ることはありません。

 ○ 現在の日本において、感染源となるものはほとんどありません。 

 ○ 身体の変形は、後遺症にすぎません。

 

ハンセン病はこんな病気です


ハンセン病は「らい菌」という細菌に感染することによって、主に皮膚や末梢神経が侵される慢性の病気です。
感染し発病すると、手足などの末梢神経が麻痺し、汗が出なくなったり、痛い、熱い、冷たいといった感覚がなくなることがあり、気がつかないうちにやけどや怪我を繰り返したり、治療法がない時代は、手足や顔面が変形するといった後遺症が残ることがありました。
かつては「らい病」と呼ばれていましたが、明治6年(1873年)に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとって、現在は「ハンセン病」と呼ばれています。
 

ハンセン病は治る病気です


治療薬がなかった時代は、医学的に治療することができませんでした。
しかし、昭和18年(1943年)、アメリカで「プロミン」という薬が登場し、ハンセン病は治療できる病気になりました。
現在では、いくつかの薬を組み合わせて服用する多剤併用療法という治療法が確立し、早期発見、早期治療を行えば、後遺症を残すことなく外来治療で治すことができます。
 

日本におけるハンセン病の歴史


日本における法律等によるハンセン病の歴史[PDF:79KB]


1900年代、ハンセン病はコレラやペストと同じような恐ろしい伝染病と考えられていました。ハンセン病患者の外見と感染に対する恐れから、患者たちは何世紀にもわたり、差別や偏見の目にさらされてきました。
日本でも古くから、病気への差別や偏見から、周囲の冷たい仕打ちにあい、家や故郷を追われて各地を放浪する人たちがいました。
1907(明治40)年に日本政府は、「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、各地を放浪するハンセン病患者を療養所に入所させ、一般社会から隔離しました。
1931(昭和6)年に「癩(らい)予防法」が成立し、すべてのハンセン病患者を強制的に隔離することによるハンセン病根絶政策が決定され、全国各地に国立療養所がつくられました。
1943年(昭和18年)にはアメリカで治療薬が開発されハンセン病は確実に治る病気になったにもかかわらず、1996年(平成8年)に「らい予防法」が廃止されるまで約90年もの間、国による隔離政策が続けられました。         
[ハンセン病の向こう側(厚生労働省)より]

 

元患者さんたちの苦しみ

 

  • 親や兄弟姉妹と一緒に暮らすことができない。

国の隔離政策により、すべてのハンセン病患者が本人の意思に関係なく強制的に療養所に入所させられました。
ハンセン病患者が家族と強制的に別れさせられるという不幸を生みました。
 

  • 実名を名乗ることができない。

家族にハンセン病患者がいると知れると、親兄弟姉妹も迫害に遭い(結婚の破談、学校・近所等でのいじめ)、その土地で生活することさえできなくなる例も多々あったため、 ハンセン病患者は家族に迷惑をかけまいとして、入所後も仮名・偽名を使っていました。
 

  • 一生療養所から出て暮らすことができない。

薬で治るにもかかわらず、法律に退所規定が設けられていませんでした。 それは、一度療養所に入所したら一生そこから出ることはできないことを意味していました。​ 
 

  • 結婚しても子どもを持つことができない。

結婚はできても、男性の断種や女性の中絶手術が強制されていました。
 

  • 死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない。​​

悪政の中で亡くなった方も、らい予防法廃止後にご高齢になられて亡くなった方も、いまだに残る偏見・差別等により、死後も故郷に帰れない方が多くいます。そのため、各国立療養所には、納骨堂が設置されています。

 

ハンセン病元患者の方々の多くは、こうした生活を強いられてきました。
「らい予防法」が廃止された現在でも、社会に残る偏見・差別から、このような苦しみを持ちつづけている人が多くいます。

 

ハンセン療養所について

 

  • ハンセン病の療養所は、全国で14カ所(国立13カ所、私立1カ所)あります。
  • 令和4年5月1日現在、929人の方が療養所に入所しています。
     

療養所入所者の方々は、病気そのものは既に治っていても、療養所から出られない法律に長い間しばられてきました。
平成8年に「らい予防法」が廃止され、平成20年には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定されるなど、社会復帰を後押しする施策も進められていますが、ご高齢のうえ、ハンセン病の後遺症により身体の不自由な方も多く、長い間の隔離政策から家族や知人が少ないこと、今もなお社会に偏見や差別が残っていることなどの理由から、療養所を出て生活することが難しい状況にあります。
 

わたしたちにできること

 
ハンセン病元患者の方々は同じ人間でありながら、『ハンセン病』という病気にかかったことにより、長い間多くの偏見と差別に苦しんできました。
今まで誤って伝えられてきた病気、そしてその実態が、ようやく正しく伝えられるようになりました。
わたしたちにできること。それは、ハンセン病について正しい知識と理解を持つこと。
これが偏見や差別をなくす第一歩になるのだと思います。
このホームページをハンセン病を正しく知るきっかけとしていただき、学校や家庭でも話し合い、さらに理解を深めていただけると幸いです。

 

高知県の主な取組み


<療養所訪問>
  ○ 療養所入所者への訪問
  ○ よさこい踊り子隊等ボランティアグループの訪問(大島青松園、長島愛生園)

<入所者の里帰り支援>
  ○ ふるさと交流促進事業
    高知県出身の入所者に対する里帰り支援
    高知県出身の入所者親族による療養所訪問支援

        高知県ハンセン病療養所入所者ふるさと交流促進事業実施要領[PDF:73KB]  

<普及啓発>
  ○ 県内中高生等による夏休み期間中の療養所訪問(大島青松園)
  ○ 啓発パンフレット等の配布
  ○ 啓発パネル展示 

 

関連リンク

 

  ・中学生向け「私たちにできること~ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう~」
  ・「ハンセン病の向こう側」(生徒用パンフレット)
  ・「ハンセン病の向こう側」(指導用パンフレット)

 

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この記事に関するお問い合わせ

高知県 健康政策部 健康対策課

所在地: 〒780-8570 高知県高知市丸ノ内1丁目2番20号
電話: がん・企画担当 088-823-9674
難病担当 088-823-9678
088-823-9684
感染症担当 088-823-9677
新興感染症担当 088-823-9092
ファックス: 088-873-9941
メール: 130401@ken.pref.kochi.lg.jp

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