高知県観光特使が語る!『高知県の魅力』第十弾~植松伸夫~

公開日 2025年03月19日

更新日 2025年03月19日

ー本日は、「ファイナルファンタジー(以下、「FF」)シリーズ」をはじめ、数多くのゲーム音楽を手がけてこられ、近年では「conTIKI SHOW(コンチキショー)」でもご活躍の、植松伸夫さんにインタビューさせていただきます。植松さん、よろしくお願いします。 

よろしくお願いします。 
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 【植松伸夫さん プロフィール】
1959年 高知県出身
株式会社ドッグイヤー・レコーズ 代表取締役会長
有限会社スマイルプリーズ 代表取締役
神奈川大学卒業後の1986年、スクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社。
「ファイナルファンタジー」シリーズをはじめ、数多くのゲーム音楽を手掛ける。
近年では「植松伸夫 conTIKI SHOW(コンチキショー)」として、自身のソロ演奏やバンドでの演奏に加え、朗読とバンドによる「アカリガタリ」などを披露し、ワールドツアーも行っている。

高知県との関わり 

ー植松さんは大学から県外に出られていますが、今でも高知に帰られる機会はありますか。

随分帰ってなかったんですけど、最近では同窓会やライブで頻繁に帰る機会が増えました。去年も2回帰っています。昔通っていたレコード屋さんなんかももうないですし、シャッター通りになっている所が結構あったりして、そういうのは寂しいですけど、路面電車が走ってたり、基本的な街並みはそんなに変わってないので、やっぱり懐かしいなと思います。  

ー高知に帰ると決まって行くところはありますか。 

小さい頃から高知の「おきゃく」文化の中で育ったので、今でも誰か仲間がいたら「ひろめ市場」に行きますね(笑)あと誰か連れて帰ったら、月並みですけど「かつおのたたき」を食べてもらうようにしています。「明神丸」さんとか行って、県外の人に、特に塩たたきを食べさせたらみんな感動するんですよ。「こんなおいしいものがあったんだ!」って。その場でみんな冷凍のたたきを買って、自分の家に送るくらい(笑)塩たたきは、本当にインパクトがあるみたいですね。

ー高知出身の方との繋がりや交流機会はありますか。 

音楽家で言えば、織田哲郎がいますね。年に何回か飲んでいます。高知学芸の同窓生なんです。昔、彼が「ポテトズ(「芋バンド」の意)」っていうバンドをやってて、親御さんの異動で東京に行ってしまったんで、その穴埋めに僕が加入したんです。一緒にバンドやったことはなかったんで、去年8月の同窓会で4人組で演奏しました。都内でも高知出身の仲間とよく会ってますよ。「わらやき屋」さんとか高知料理のお店で。

高知で過ごした日々

ー音楽の原体験は、どのようなものでしたか。

小学4年生ぐらいの頃、高知にウィーン少年合唱団が来たんですよ。僕は全然興味なかったんですけど、姉に半ば強制的に連れて行かれて(笑)でもそれは、生まれて初めて音楽で涙が出た瞬間でしたね。「こんな綺麗なものが世の中にあるんだ」と思って、音楽ってすごいなぁと感じました。
それから、小学6年生の頃には作曲を始めて、姉と違ってピアノを習ってなかったから、音を出して遊びたくても譜面が読めないんですよね。だからもう自分で作って遊ぶしかないっていうので、自分なりのやり方で音楽を始めました。
   

ー習うよりも、探求から始めたということですね。 

昔から先生とか親の言う通りのことが出来ないんですよ(笑)例えば小学4年生の時に、当時日本の体操がすごく強くて、僕もバク宙が出来ないもんかなと思って。自分なりに研究してみて、まずブリッジが出来るようになる。ブリッジが出来たら、足で蹴飛ばして反転する。それが出来るようになったらもっと勢いつけてと、そこまでは意外とすぐ出来るんですよ。ただ、バク宙になると手を着くわけにいかないので、練習の仕方も分かんないじゃないですか。で、とりあえず、体育館にあるマットを10枚くらい重ねて、思い切って後ろに向かって跳ぶんです。それが出来たら、1枚ずつ剥がしていって。そうするとね、平地で出来るようになるんですよ。自分なりのやり方でも何とかなるっていうのが、その時に分かった気がします。もし先生に教わっても、多分出来なかったと思います。 

ー音楽を作られてるお姿とも重なるお話ですね。 

重なりますね。音楽に興味を持って深夜放送とか聴くようになって、自分でもやってみたいなぁと思うんですけど、チャイコフスキーとかバッハみたいなものは、子供ながらに「これは無理だ」と思うわけですよ。でも、ロックとかフォークだったら、なんだか出来そうな気がしたんです。ギターとかピアノでコードを覚えてジャカジャカやれば、簡単じゃないですけど、譜面が読めなくても出来るし。
音楽以外でも、ビールとか作りますよ。アルコール度数が1%未満だと、違法じゃないんです。パンとかピザとか、いろいろ作ります。でも、自分で作ったビールなんか飲めたもんじゃないですし、チョコレートやこんにゃくを作ってもまずいです。いつまでたっても作り方を覚えないから、毎回レシピを見るんですが、その過程が面白いんですよね。実験っぽいのが楽しいんです。小麦粉が麺になったり、お好み焼きになったり、たこ焼きになったり、不思議ですよね。うまく出来なくてもいいんですよ。やってる途中が面白いんで。セオリーどおりじゃなくても、とりあえず作ってやろうって始めてしまえば面白い。
   

ー高知の学生時代・青春時代の思い出はありますか?

中学生以降は、ほぼほぼ音楽にしか興味なかったんで、学校の帰りにはよくレコード屋さんに寄っていました。でも、1枚2,000円以上の物なんて買えませんから、店員さんと仲良くなって、店で色々な曲を流してもらったり、そういうことばっかりやっていました。あと、ラジオ番組「WAROと一緒に」をよく聞いていました。田村和郎さんっていう方がDJで、印象深かったですね。ゲーム音楽を作り始めた頃も和郎さんに連絡を取って、ラジオで流してもらったことがあります。
それから、僕が中高生の頃って意外と高知の音楽が盛んで、バンドもいっぱいありました。あっちこっちでライブがあって、そこら辺の土佐高の生徒がQueenやってたりとか、ものすごく腕の立つ奴らが揃ってましたね。日本でも結構知られた、「トラベリンバンド」っていうのもいたんですよ。ライバルがいっぱいいたし、憧れる先輩もいましたしね。そういうのが今も残ってるといいですね。
今、高知で「ラララ音楽祭」っていうイベントを、街中でやってますね。僕の友達も出てます。昔の高知にはそんな取組はもちろん、ライブハウスすらなくて、文化祭で演奏するのが精一杯でした。でも、制限があるとそこで初めて何か知恵を働かせるんですよ、人間って。少なくとも僕は。だからそういう意味では、今の方が恵まれてるとも言えるし、逆に恵まれてないのかもしれない。 

ー田舎だと音楽の流行が遅かったり、いい機材が回ってこなかったり、都会に気後れする面もあるかと思うのですが。

あれはね、入ってこないのがいいんですよ。なんでも入ってくると何もしないですけど、僕らの頃って入ってこない。だから、積極的に探すんですよ。レコード屋さんも東京なら輸入版がパッて入ってきて、アメリカやイギリスの音楽がすぐ聞けますけど、高知はそんなの滅多に入ってこないので、積極的にFMラジオをチェックしたりするしかないんですよ。で、物事って多分何でもそうだと思うんですけど、自分から積極的に接していったことの方が身に付くんです。何でも買える、手に届くっていう所にいてもね、あんまり身に付かないかもしれない。だから何にも情報が少ない、物も入ってこない高知っていうのは、意外とむしろ僕はいいと思う。独特な個性を育てられる環境にあると思いますよね。

ー音楽以外の高知での思い出はありますか

ボーイスカウトをやっていて、高知城の「すべり山」に毎週水曜日に集まったり、よさこい祭りに出たりしましたね。あとは、友達と自転車で遊びに行ったりとか、キャンプに行ったりとか、高知市の朝倉に住んでいたころには、すぐ近くの鏡川で泳いでました。夏休みの高知の子供は、泳ぐくらいししかやることないじゃないですか。だから種崎の海で泳ぐか、鏡川で泳ぐかっていう。僕が小学1年生の時はまだ、桂浜でも泳げたんですよ。今は禁止ですがその直前まで、僕は最後に桂浜で泳いだ男なんです。
僕は元々、中村(四万十市)の出身で、祖父が昔、植松旅館っていう小さな旅館を経営していて、中村幼稚園に歩いて通える距離に住んでいました。近所のおじさんなんかが、四万十川にエビ捕りに連れてってくれたりしましたかね。高知市内には小学1年生の時に引っ越して、東久万、朝倉、加賀野井の順に住みました。

植松伸夫さん4

自身の音楽と地元の存在

ー植松さんは、音楽には作った人自身が現れるとおっしゃっていますが、例えばFFシリーズの音楽の中にも、高知での日々が溶け込んでいるのでしょうか。

それはあるんじゃないでしょうかね。なぜ自分が音楽を作り続けてるのかっていうのを考えた時に、結局自分がほっとしたいんですよね。自分で自分を救ってあげたいというか、あんまりあくせくした生き方は苦手ですし。FFシリーズの音楽とかを好きだって言ってくれる人には、まあ「片翼の天使」とか激しいバトルの曲なんかも好きだって言ってくれる人もいるんですけど、それよりも意外とのんびりした、ゆったりした感じのメロディーの方が、いろんな人にアピールしてるんじゃないかなっていうふうに思う時はあります。
そこにあるのはやっぱり鏡川ですし、高知ののんびりした感じです。
年を取って高知に帰ると、街そのものが自分のもののような感じがするというか、「あぁ、ここだなぁ」と、ほっとするんです。ここだとどんな悪さをしても、許してくれるような。不思議な感覚ですけど。
親なんですかね。悪さしても他のおじさん、おばさんだったら怒られるけど、親は怒っても、最終的に許してもらえるような感覚ってありますよね。意外と地元ってそういう存在だという感覚を、僕は持ってるかもしれないですね。 

ー地元そのものが自分を許してくれるような存在、親のような存在ということですか。

そうですね。ちょうど今、昔のことをいろいろ思い出しながら、鏡川を題材に曲を作ってるところなんですよ。地名が入ってるわけじゃないですけど、昔泳いでいた川をこの歳になって見て、あぁこんな歳になってしまったなっていう、自分の心境を鏡川に映し出してるっていう感じの曲で、仮ですが「水の鏡」っていうタイトルにして、歌詞を作ってるとこです。オペラ歌手用に作ってるんですが、最速で6月ぐらいにはどこかで歌われるんじゃないでしょうか。オペラ歌手に歌われなくても、自分のバンドでやります(笑)

高知の意外な魅力 

ー知る人ぞ知る高知の意外な魅力というものは、ありますか。 

意外と知られていないんですけど、高知はUFOの目撃者が多いんですよ。例えば今から50年ぐらい前に、当時の中学生が田んぼに落ちてるUFOを捕まえた、「介良事件」というのがあって。UFOを捕まえた人って、世界でも相当珍しいんですよ。捕まえたUFOを家に置いてたら消えて、翌日また田んぼに落ちていて、捕まえて家に置いてを繰り返したりして。宇宙人が出てこないかと、お湯を入れてみたりとかしたらしいんです。当時は東京のテレビ番組なんかも押し寄せて、結構話題になっていました。僕は子供のいたずらだろうぐらいにしか思ってなかったんですけど、いっそ当事者に会ってみようと思って、去年の夏会ってきたんですよ。お話を聞いてると、とても作り話とは思えないんですよね。
どうやらこの人たちは確かに、それがUFOか何か分からないけど、捕まえて家に持って帰ったりお湯をかけたりはしてたんだろうなと思うようになりました。
高知では同型の空飛ぶ物が結構目撃されていたり、UFOに乗ってシリウス星に行ったという方がいたり、陰陽師の後継者のような人もいたりして、僕はそういう不思議なことが世の中にあると思います。
もともと霊場があったりスピリチュアルな面がありますし、都会化が進んでいないことで昔ながらの妖怪も出やすいでしょうから、高知をそういうオカルトの名所としてプロモーションするというのも面白いかもしれませんね。

植松伸夫さん2

ゲーム音楽制作の始まりと終わり、これからの活動 

ーFFシリーズのメインテーマが、東京オリンピックの開会式で流れた時のご心境は。 

いやあ、感動しました。カザフスタンの選手の衣装が、偶然FFの世界観みたいになって、すごいなあと思って。開会式の直前に楽曲が用いられることを知りました。情報の取り扱いが相当厳戒だったみたいですね。メインテーマを作った当時27、8歳でしたけど、「これ相当いけるな」って自分で思ってたから、あの予感は正しかったんですね(笑)

ーメインテーマを作られたのは、スクウェア・エニックスに入社されてすぐのお話ですよね。

 スクウェアに出入りするようになったのは、26歳ぐらいでした。実は大学を出てから食えるようになるまでが結構長くて。バイトで生活してたんですけど、どこかでもう積極的にこのサイクルから抜け出さないとと思って、ある日、当時の求人情報誌にあった「CM音楽作曲家募集」だけに絞って、昼間作曲して、夜録音して、翌朝CM制作会社に送りつけるっていうのを返事が来るまでやろうと思って。そしたら、やってもやっても返事なんか来ないんですよ。大体デモテープなんか聞いてませんから。それでも返事が来るまでやろうと思って、ちょうど1月半ぐらいやった時に、「お前面倒くさいから会ってやる」って(笑)そこから、何本か地方のラジオCMの音楽なんかをやらせてもらったこともあります。そうこうしているうちに、スクウェア・エニックスっていう会社に出会いました。
ちょうど家族が親父の仕事の都合でベルギーに3年間いて、僕は全くのフリーだったんですよ。僕にうるさいこと言う人は誰もいなく、好きなことが出来たのはラッキーでした。もし家族が高知に残っていたら、いろいろ言われたでしょうね。「いい加減にしろ」「高知に帰って来い」みたいな。

ーアルバム「FANTASIAN Neo Dimension」で、ゲーム音楽を全編手掛けるのは一旦最後とされていますが、今後はどんな活動をされていきますか。

 ゲーム音楽をオープニングからエンディングまで全部作ると、ものすごく時間がかかるんですよ。例えば「FANTASIAN Neo Dimension」も作るのに1年半ぐらいかかっていると思います。
そうするとやりたいこと、例えば鏡川の曲を作ろうとか、そういうことがこれまで出来ていなかったんですよ。
不器用なんで、何かに取り組むと集中しちゃって、それしか出来なくなるんです。どこかで決断しないと自分のやりたい音楽は作れないなと思って、もうゲーム音楽はやり切ったかなっていう感じを自分で持てたんで、じゃあこれを最後にしようと、そんな感じです。
これからは、自分のやりたい音楽をやって生きていこうかなと思います。

インタビューをご覧の皆様にひとこと

ー植松さんの音楽の中に、今後も高知での日々が織り込まれていく可能性もあるということですね。

そういうことですね。もう65歳になるんですが、そういうお年頃です。
今は「植松伸夫 con TIKI」というバンド活動の中で、不思議な話や怖い話等に音楽と映像をつけて朗読する「アカリガタリ」という企画もやっています。囲炉裏でおばあちゃんが昔話をするところから想起して名付けたんですが、日本全国の話を集めて、少なくとも各県1つずつぐらいは作品を作りたいねと話しているところです。東京の自由が丘のライブハウスとかで披露しているんですが、そのうち、高知の話も出来るかもしれません。
また、「お返ししたい」とか言うとすごく偉そうですけど、育ててくれた高知に、例えばラジオ番組とかには、出来るだけ力になりたいです。「一生懸命、田村和郎さんの番組を聴いて育って、こんな風になりました」って報告をしたいというか、当時自分が和郎さんにそうしてもらえたように、高知で夢見ている人たちに何か出来ればいいなと考えています。
それから、まだ仮のタイトルですが「水の鏡」を聴いて、高知の鏡川にも思いを巡らせてもらえたらとても嬉しいです。
僕の活動は、「X」で「植松伸夫」と検索したら出てきますので、ぜひチェックしてみてください。

植松伸夫さん3

(関連情報)
植松伸夫公式X(https://x.com/uematsunobuo)

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