公開日 2017年04月14日
司馬遼太郎(昭和43年11月15日顕彰)
「竜馬がゆく」「功名が辻」「夏草の賦」など、土佐を題材にした一連の作品を発表され、昭和40年代の土佐ブームの要因となりました。
昭和43年11月に開催された「県明治100年記念式典」において、名誉高知県人の称号を贈りました。
(平成8年2月12日逝去)
ペギー葉山(昭和49年11月3日顕彰)
昭和34年に出された「南国土佐を後にして」が大ヒットし、昭和30年代後半の爆発的な土佐観光ブームを巻き起こしました。
レコーディング15周年を記念して、昭和49年11月に名誉高知県人の称号を贈りました。
(平成29年4月12日逝去)
民謡「南国土佐をあとにして」とペギー葉山氏のあらまし
民謡「南国土佐をあとにして」は、太平洋戦争当時、大陸の広野を転戦した郷土出身の鯨部隊の将兵が明日をも知れぬ我が身を思い、望郷の念いよいよ募り露営の夢にまどろみながらはぐくみ、戦塵の中で歌いつづけられていた。戦後、武政英策氏によって補作・編曲され、昭和33年NHK高知放送局のテレビ開局記念行事「歌の広場」が県民ホールで行われた際、ペギー葉山氏により歌われ、翌昭和34年にレコーディングされたちまち全国に流れ、広く愛唱されて現在にいたっている。
また昭和35年には県立公園五台山山頂にこの民謡の生い立ちをしるし、過去と未来を結ぶ心のきずなとする記しとして“南国土佐をあとにして”の碑が建てられた。
ペギー葉山氏は、氏の人柄もさることながら、この「南国土佐をあとにして」が反響を呼ぶや全国各所のステージで精力的に歌いつづけられて、南国土佐のイメージアップに大いに寄与し、高知県の観光入込者が昭和37年に75万人であったものが、昭和48年度には470万人と急増してきた一大要因にあげられ、高知県の観光に多大な貢献があったことが認められる。
頌 ペギー葉山 殿 あなたの清弄な詩情が幾歳月にわたり南国土佐を全国に強く印象づけた功績に感謝し 名誉高知県人として永く讃えます 昭和49年11月3日 高知県知事 溝渕増巳 |
「頌」(しょう)・・・人の美を褒めたたえることば、「清弄」(せいろう)・・・清くさえたる音楽のふし
(注)昭和49年に作成された事績概要から転記したものであるため、現在の公文書表記とは異なる表現が含まれています。
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